2015/10/3(土)〜10/5(月) 北京ツアー |
HISの「たっぷり北京3日間ツアー」に参加してきました。 3日間の日程は、以下の様な感じでした。 ・1日目 頤和園 前門 ・2日目 天安門広場 天安門 故宮(紫禁城) 景山 明の十三陵 万里の頂上 ・3日目 天壇 胡同 ■1日目 上海の虹橋空港を、8時に出発して、1時間半のフライトのあと、北京に到着。 到着してからは、まず、頤和園の観光です。 ![]() 頤和園は、皇帝達が夏の避暑地として、利用するための場所のようです。 国慶節なので、人は多かったと思います。 ![]() 敷地内に入ってしばらく歩くと、上記写真のような長い通路があります。 ![]() そして、左手を見ると、このような湖がありました。 湖が近くにあって、木も多いせいか、とても涼しく感じられましたね。 頤和園にも、たくさんのお宝があったそうですが、 国民党が共産党に敗れた際に、ここらへんのお宝をもって、 台湾へ逃げ込んだそうです。 台湾には、それらのお宝を展示する博物館があるそうですね。 ![]() 次は、前門という所に来ました。 写真の中央の奥に、見えている門が、前門らしいです。 天安門より前にあるので、前門と呼ぶそうです。 ここは、上海の新天地のような感じでしたね。 スタバやZARAなどがありました。 ![]() 2箇所を観光した後は、夕食です。 全聚徳で、北京ダックを食べました。 写真は、北京ダックをスライスして、お皿に取り分けている所です。 その後、ホテルへ移動しました。 宿泊ホテルは、ホテルニューオータニです。 朝食が美味しかったですね。 なかなか良かったです。 ■2日目 ホテルのロビーに、7:30に集合して、 天安門へ出発しました。 ![]() セキュリティチェックを通過して、しばらくしたら、天安門広場に到着しました。 とても広いですね。 150万人が入るらしいです。 ガイドさんは、学生時代に、マス体操の1人として参加したそうですが、 その時に、ケ小平が天安門から手を降っていたそうです。 ![]() 天安門がだいぶ近づいてきました。 結構大きいなぁ、と感じました。 大きさは、写真では分からなかったので、ちょっと驚きですね。 ![]() 地下道をくぐって、天安門の前に来ました。 門をくぐって中に入っていきます。 中には、故宮があるそうです。 故宮は、明や清の時代の皇帝が住んでいた場所のようですね。 ラストエンペラーも、ここに住んでいたようです。 門を潜ろうとする際に、道路の脇に建っている軍人や警官が 「俺の写真を撮るな!」 「カメラをしまって、まっすぐ歩け!」 などと声をかけているので、ちょっと驚きました。 セキュリティに、かなり気をつけているようですね。 また、人々が立ち止まったら、混雑して危ないのでしょうね。 この後、チケットを通して、中に入る場所に来たのですが、 ちょっとしたトラブルで、時間がかかりましたが、ようやく 中に入れました。 後で新聞で見たのですが、数年前から、天安門に入るには、 事前に予約して、IDを登録しないといけないみたいですね。 入館時に、IDとの整合性を取るみたいです。 かなり、厳しいセキュリティとなっているようでした。 ここでのテロや事件なども少なくないからでしょうかね。 2年前には、喧嘩で、ドイツ人が刺されて亡くなったそうです。 恐いので、喧嘩してはいけませんね。 何が起こるか分かりませんので。 ![]() そして、ようやくチケットを通して、中に入ることが出来ました。 ここの門をくぐると、故宮になるそうです。 故宮の別名は、紫禁城になるみたいですね。 遠くから見て、建物が紫色に見えて、しかも、 一般の人は、中に入ることができないので、この名前が ついたそうです。 ちなみに、門がたくさんあります。 北からモンゴル族などが攻めてきても、守れるように、たくさんの門があるみたいですね。 ![]() 故宮の中に入りました。 故宮の中には、木がありません。 なぜなら、木があると、暗殺者などが入り込んで、見つけるのが 困難だからだそうです。 故宮の敷地は、四角いのですが、”□”の中に木があると、 漢字的には、”困”になります。 そう、木があると、怪しい物が入り込んでも分からないので、 困ったことになるのです。 ![]() さらに奥へ進むと、上記の建物が見えてきました。 ![]() この建物の中で、皇帝が外国要人と会ったりしていたそうです。 ![]() さらに、奥に進んで、皇帝達が生活する場所に入ってきました。 そして、その一角に、ラストエンペラーも座った椅子が展示してありました。 またラストエンペラーが好きだった言葉で、 「正大光明」 という額も掲示されていました。 正しくて立派な行いという意味だと思います。 この額の後ろに、次の後継者の名前を隠していたそうです。 暗殺されたりした時のためにも。 また、皇帝の奥さんは、3000人いたそうです。 中国は、スケールが違いますね。 奥さんの数も桁が違えば、故宮の広さも、かなりの広さですし。 余談ですが、沖縄の首里城は、中国の故宮で使われている デザインと、とても似ているそうです。 それは、やはり、中国から文化が伝わったからだそうです。 そして、シーザーが沖縄にはいますが、中国語で、獅子は、 シーズと呼びます。 それが、変化して、シーザーになったそうです。 これを聞いて、確かに似ている!、と驚きました。 今まで気づきませんでした。 ![]() 故宮を一通り見終わって、敷地の外に出ました。 山の上に見えるのは、景山だそうです。 明の最後の皇帝が、敵に攻められた際に、ここで首を吊って 自殺したそうです。 この山は、堀を作る際に取り出した土て、作った人工的な山だそうです。 ![]() 景山の一番上にまで登りました。 ここから、故宮が一望できます。 とても大きいですね。 スケールが大きいです。 壮大な感じがありますね。 中国の皇帝の権力の大きさを、目で見て実感できるような感じでした。 ![]() 次は、明の十三陵へ行きました。 明時代の皇帝達のお墓のようです。 その1つが見れるようになっているようでした。 共産党が政権を握って、国が貧しかったときに、 お墓の1つを発掘調査して、見つけ出したそうです。 中には、1トン程度の金銀財宝などが入っていたそうです。 地上の建物は、文革の時に壊されたそうです。 ![]() そして、万里の長城へと移動しました。 遠くに見える長城に、人の姿がたくさん見えるのが驚きでしたね。 みんなここを歩いているんだ!、と驚きました。 また、よくよく見ると、万里の長城は、この先からずっと 続いているのが見えました。 よくこんな壮大な建物を作ったなぁ、と思いますね。 ![]() 万里の長城を歩き始めた所です。 ![]() 歩いていて気づいたのですが、結構、急な箇所も多いです。 上記写真のような勾配です。 場所によっては結構危険でしたね。 事故が起きても、不思議ではないです。 ![]() しばらく歩いたところです。 国慶節のせいか、長城には、たくさんの観光客です。 中国人ばかりでした。 外国人は、ほとんど見かけませんでしたね。 写真の中の一番高いところまで、目指して歩きます。 出発地点から、そこまでは、往復で40分ぐらいでしょうか。 ![]() そして、ようやく目的に着きました。 この場所の直前は、とても勾配が急で、登るのが大変でした。 これは、若い内に来た方が良いですね。 そして、この先にもまだまだ長城が続きます。 ![]() 来た道を戻ります。 ![]() 来た道を戻ってると、上記写真のようなものがありました。 「武警の設備。壊したら違法!」 と書いてありますね。 これは、恐くて壊せないですね。 また、中国らしさを感じました。 ![]() 今回訪れた長城は、八達嶺という場所になります。 ![]() そして、ホテルへ戻ります。 移動中に、オリンピックの聖火台が見えました。 とても、大きいです。 中国は、大きい建物が好きなようですね。 ![]() 2008年北京オリンピックの時の建物ですね。 青く光っているのは、水泳競技場だそうです。 その左が鳥の巣です。 ![]() 2日目の夕食は、北京しゃぶしゃぶでした。 この中の何かが悪かったのか、夜中から次の日にかけて、 胃の調子がずっと悪かったです。 もう1人調子悪い人がいたので、食べ物の何かが悪かったと思います。 次の日に、胃腸薬を飲んで、多少緩和しましたが、 ずっと調子悪いのが続きましたね。 胃が痛くて、もたれる感じです。 ■3日目 ![]() 3日目です。 バスで、道路を移動中です。 北京の道路は、上海よりも整備されている気がします。 そして、道幅が広めですね。 でも、渋滞が結構起こっているようです。 ![]() 最終日の3日目は、まずは、天壇を見に行きました。 ここの公園は、お年寄りで一杯です。 お年寄りは、無料でこの中に入れるそうです。 唄ったり、カード賭博をやったり、将棋をやったりしている人たちが たくさんいました。 ![]() 天壇の中心です。 これは、天国を意味している建物だそうです。 周りの丸いものは、雲だそうです。 そして、地面は、四角なのですが、これは、我々現世の 人たちがいる世界を表しているそうです。 ここでお願いごとをすると叶うそうなので、 健康に関するお願いをしておきました。 ![]() 次は、胡同です。 胡同は、モンゴル語だそうでして、意味は 井戸だそうです。 胡同は、700年ぐらいまえにモンゴル族が世界を支配して いたときに作られた場所でして、共同の井戸があって、 その周りに人々が住んでいたみたいですね。 当時は、武官の人たちや、文官の人たちが住んでいたと思われます。 今は、庶民が住んでいると思われますね。 ![]() 三輪車に乗って、移動中です。 蘇州で見た建物と似ていますね。 ![]() とあるお家に入って、ここで暮らす人々の説明を受けました。 狭くて古くて、埃っぽい感じがしたので、ここで 暮らすのは大変そうだな、とは思いました。 ただ、立地は良いみたいですね。 1泊300元で泊まれるそうですが、ここに宿泊するのは 遠慮したいですね。 今は、ここには、4人の人が住んでいるそうです。 胡同を見終わった後は、昼食を取って、 4時の飛行機で、北京を経ちました。 北京ですが、皇帝や権力者と関係した場所が多くて、 歴史をとても感じさせる場所でした。 そういう点が、一番良かったと思います。 歴史を肌で感じられる場所でした。 ホームへ戻る |